「ていねいな暮らし」って、ちょっと作りものっぽくない?
インフルエンサーのSNSや雑誌で見かける「ていねいな暮らし」。
木の器、リネンのクロス、手作りの梅仕事に、朝の白湯。
その世界観はたしかに素敵で、心が落ち着く。
でも、正直なところ、
「これって無理してない?」って思うときがある。
木の器なんて、手入れを怠ったらシミやカビができるし、
白湯を飲む余裕がある朝なんて、私は滅多にない。
そもそも、朝なんて夜勤明けで疲れてる時がほとんどだし、
「水道水で上等!」って思ってしまう。
“ていねいな暮らし”という言葉が、
まるで「雑に生きる=悪いこと」みたいに聞こえる瞬間があって、
そのたびにちょっと息苦しくなる。

現実はズボラでヤケクソ。でも、それが私の暮らし
私は節約のためにスティックコーヒー派。
洗濯物は乾いたやつを畳まず、次に着るまで放置。
ご飯は「空腹が満たされればそれでOK」。
たぶん、インスタの“#ていねいな暮らし”タグには一生登場しない。
でも、そんな暮らしでもちゃんと回ってる。
仕事もしてるし、最低限の家事もこなしてる。
それだけで、十分がんばってると思う。と言うかそう思いたい。
“ていねい”って、誰かが決めたルールみたいなものじゃなくて、
自分の余力の中で暮らすことでもあるんじゃないかな。
「ていねいさ」に疲れた人が増えている理由
SNSの普及で、「理想の暮らし」が見えすぎるようになった今。
どうしても他人と比べてしまう。
- もっときれいな部屋にしたい
- 栄養バランスのとれたご飯を作らなきゃ
- 休日はゆったり読書やベランダガーデンを…
そう思っても、実際には時間もお金も気力も追いつかない。
それでも「ていねいに生きなくちゃ」と自分を責めてしまう。
でも、よく考えてみたら——
ていねいに疲れてまで暮らす意味ってあるの?
心に余裕がないのに無理して丁寧を装うのは、
自分を追い詰めてしまうだけかもしれない。
ズボラでも、ちゃんと“ていねい”に生きてる
世間的にはズボラ=雑、なのかもしれない。
だけど、「無理をしない」「がんばりすぎない」という選択こそ、
本当の意味での“ていねいな生き方”だと思う。
疲れた日にインスタント味噌汁を飲んで「おいしい」と感じる。
洗濯物を畳まなくても、明日も着られる服がある。
それだけで、生活はちゃんと成り立っている。
ていねいさって、
手間をかけることよりも、
“自分を大切にする姿勢”なんじゃないかな。
「ていねいな暮らし」に縛られない、自分らしい暮らし方
「ていねいな暮らし」は悪いものではない。
けれど、それが義務や正解になると、
途端に苦しくなる。
ていねいにできる日もあれば、
何もしたくない日もある。
それでいい。
暮らしは、他人に見せるものじゃなくて、
自分が安心して生きるためのもの。
だから、「ヤケクソな日」だって立派な日常。
今日も何とかご飯を食べて、寝て、起きている。
それだけで、十分“ていねい”なんだと思う。
おわりに:ズボラでも、生きてるだけで立派です
「ていねいに暮らせない私」は、
「がんばって生きてる私」でもある。
SNSの世界みたいに完璧じゃなくても、
人の目を気にせず、
今日を生き抜いている自分をもっと褒めたい。
おしゃれな木の器がなくても、白湯を飲まなくても、
私はちゃんと生きてる。
それが、私の“ていねいな暮らし”のかたち。
そう自分に言い聞かせて今日も生きている。
ぼっち女史戦記 

