私は「孤独のグルメ」が好きでドラマを一気見してしまいましたが、「ソロ活女子のススメ」は孤独のグルメの女バージョンか?と思いスルーしていました。最近になってようやく見始めたのですが、この2つのドラマは似ているようで違うものだったのです。
なぜ今「ひとり」を描くドラマが注目されるのか
現代社会において、「ひとり」で過ごす時間=“ソロ”であることが、かつての“孤立”や“寂しさ”の象徴から、“選択”や“豊かさ”の象徴へと変化しつつあります。そんな中、テレビドラマというメディアにおいても、このテーマが深く掘り下げられています。
特に「ソロ活女子のススメ」と「孤独のグルメ」という2つの作品は、一見「ひとり」の主人公が食事や時間を楽しむという似た構図ながら、その背後にある哲学や構造には大きな違いと深みがあります。
まずそれぞれのドラマが提示している“ひとり時間”の捉え方を整理し、その後両者を比較・考察しながら、「ソロ活」「孤独」というキーワードを通じて、現代の“ひとり”の意味を探っていきます。
「ソロ活女子のススメ」が描く“ソロ活”とは
まず、「ソロ活女子のススメ」の特徴を整理してみましょう。
この作品は、契約社員・五月女恵(演:江口のりこ)が、仕事終わりや休日に「ひとりで好きなことを楽しむ=ソロ活」に邁進する姿を描いたドラマです。
原案はフリーライター・朝井麻由美の体験型エッセイで、集団で動くことに違和感を感じてきた著者が「ひとりでも楽しめること」を探求したものです。
エピソード毎に、「ソロ焼肉」「ソロ動物園とソロ水族館」「ソロプラネタリウム」「ソロフレンチ」「ソロ気球」「ソロ温泉/サウナ」など、通常は誰かと行くことが多い体験が「ひとり」で行われます。
“ソロ活”のキーワードと意味
- 選択の自由:主人公は会社の歓迎会など“皆でわいわい”という選択を断り、「自分の時間」を優先します。
- 自己責任と自己肯定:「ひとりで楽しむ」という行為には、自分で場所を決め、体験を選び、結果を自分で引き受けるという側面があります。
- 既存価値観の反転:例えば「フレンチは2名以上から予約可」という壁に直面する回もあり、社会的な“ひとりでは入りづらい場所”に敢えて挑む姿が描かれています。
- 余白の贅沢:誰かと過ごす時間とは異なり、“自分だけの時間”を味わうことで、日常の中にちょっとした解放感やリセット感を生む。ソロ活=“ひとりの贅沢”とも謳われています。
このように、「ソロ活女子」は、ひとり時間を「寂しいもの」ではなく、「自分を満たすもの」「自分を再発見するもの」として描いています。
「孤独のグルメ」が描く“孤独”と“食”の関係
次に、「孤独のグルメ」を見ていきます。
この作品は、原作漫画(久住昌之・谷口ジロー)を基に、ドラマ化・映画化された“ひとりグルメ”専門の作品です。
主人公・井之頭五郎(演:松重豊)は輸入雑貨商を営み、営業先や出張中などでふらっと飲食店に立ち寄り、一人で食事を楽しむ。その描写は基本的に1話完結であり、料理との“密やかな対話”のような構図で人気を博しています。

“孤独”と“グルメ”におけるキーワード
- 静けさと没入:五郎が店に入り、一人で座り、メニューを眺め、料理を味わい、自らの声(心の声)で「いいぞ いいぞ」等つぶやく。このリズムが視聴者を“自身と食との時間”に誘います。
- “ひとり”という自然な選択:五郎にとって“ひとりで食べる”ことはむしろデフォルトであり、特別な勇気やアクションではなく、日常の中の静かな営みです。
- 食事=自己確認の時間:誰かと話しながら食べるのではなく、一人で“自分の胃袋”と、“今の自分”と向き合う時間。料理を通じて、五郎はその日の自分を噛みしめ、日常の中にある“小さな幸福”を掬い取ります。
- 店・料理・雰囲気のリアルさ:実在の飲食店・大衆食堂・個人店が多く登場し、「街の食事処」にある“ただそこにある日常”を丁寧に描いています。
つまり、「孤独のグルメ」は“ひとり”を寂しいものではなく、自由であり、自分の欲に正直になれる時間なのです。その静けさやリアルさこそが長年にわたり支持される理由だと言えます。
両作品を比較:共通点と相違点
ここまで両作品をそれぞれ整理しました。次に、比較を通じて読み取れる“ひとり時間観”を整理していきます。
- “ひとり”を肯定的に描く
どちらの作品も、「一人でいること=寂しい」ではなく、「選択しうる心地よい状態」として描いています。 - 自己と向き合う時間
“ひとり”であることで、他者の視線や気遣いから解放され、自分自身のペース・感覚で時間を使うことが可能になります。 - 日常の“隙間”を切り取る
どちらのドラマも、派手なストーリーや大事件ではなく、日常の延長線上にある“今この瞬間”を丁寧に切り取る作りになっています。
| 観点 | ソロ活女子のススメ | 孤独のグルメ |
|---|---|---|
| 主人公・性別 | 女性(会社員) | 男性(個人事業主) |
| “ひとり”に至った/選んだ理由 | 他者と同化せず、自分を取り戻すために“ソロ活”を選択 | もともとひとりで食事を楽しむ習慣があり、“ひとり”が普通の状態 |
| 主な活動内容 | “体験型”ソロ活(リムジン・遊園地・ラブホテルなど) | “食”を中心としたひとりの時間(飲食店での食事) |
| 孤独感のトーン | 明るく・前向き・チャレンジ的 | 静かで・内省的・没入型 |
| 時代背景・社会的文脈 | SNS時代・体験消費が拡張している現代 | 外出・単独行動がまだ少数派だった当初 →“ひとり食”のパイオニア的存在 |
| メッセージ | 「ひとりだからこそ楽しめる」「他者のためではなく、自分のために生きる」 | 「ひとりで食べる=日常の中の豊かさ」「誰かとではなく、自分で味わう」 |
このように、両作品では“ひとり時間”というテーマを共有しつつ、そのアプローチ・語られ方・メッセージ性には明確な違いがあります。
ドラマ分析:なぜ「ソロ活女子」が共感を呼ぶか
「ソロ活女子」が人気を得ている背景には、現代社会の変化が深く関わっていると考えられます。
近年、SNSや働き方の多様化、ライフスタイルの変化に伴い、「ひとりで過ごす」「ひとりで出かける」ことが以前よりも一般化・受容されつつあります。
「ソロ活女子」では、ひとりで行く焼肉・動物園・遊園地など、“複数で行くことが常識”とされていた体験をあえてひとりで行くことに価値を見出しています。
また、「二名様から予約可」の壁に挑む回も描かれ、“ひとりで楽しめる文化”が物理的・心理的に整備されていない現状にもリアルに切り込んでいます。
主人公・五月女恵は、会社の歓迎会を断り、早めに退社して“自分の時間”に出かけます。これは「社会的・集団的承認」ではなく、「自分自身の承認」を優先する姿勢と言えます。
その意味で、単に“ひとり”を楽しむというだけではなく、「自分で選び、自分を満たす」というアクティブなメッセージが作品の中心にあります。
このような“自分軸”や“自己肯定”の文脈は、働く女性・ライフスタイル重視の視聴者層の共感を呼びやすい要素と言えそうです。
この作品では、リムジン・気球・遊園地・ラブホテル・サウナ・温泉など、少し“非日常系”の体験が「ひとりでこそ行ける/楽しめる」視点で描かれています。
体験型消費の時代、誰かとではなく“自分一人のために”使う時間・お金・労力という価値観の変化が、こうしたドラマの受容を高めていると考えられます。
「ひとりカラオケ」「ひとり焼肉」「ひとり旅」といった言葉が当たり前になりつつある中で、ドラマがそれを肯定的に描くことで、視聴者自身も“ひとり”を新たな自由と捉え直すきっかけになります。
この意味で「ソロ活女子」は、ひとり時間へのハードルを下げ、視聴者の背中をそっと押してくれる作品とも言えます。

ドラマ分析:なぜ「孤独のグルメ」が長寿シリーズなのか
では一方の「孤独のグルメ」がなぜ長年にわたって支持されているのか、分析してみましょう。
2012年に深夜枠でスタートしたこのドラマは、「ひとりで外食を楽しむ」という当時あまり語られていなかったテーマを、淡々と描き始めました。
それが後に「ひとりグルメ」「ソロ飯」という概念普及の契機ともなっています。
そのため、視聴者にとって“ひとりで食べに行く”という行為が許容・推奨されるような空気を形成する上でも先駆的な役割を果たしました。
ドラマには実在の店舗が多数登場し、「あの店に行ってみたい」「あのメニューを食べたい」という視聴者のリアクションを引き出しています。
さらに、主人公・五郎がメニューを前にし、心の声で「うん、いいぞいいぞ」と呟きながら一口一口味わう演出は、視聴者自身が“自分ごと”として食体験をしているような没入感を生み出します。
この没入感こそが、長期シリーズ化を支える“ファンが食べたくなるドラマ”という機能を果たしてきました。
1話完結、主人公がふらっと飲食店に入り、料理を味わい、去る。というシンプルな構造。これによって、視聴者はドラマの前提をすぐ理解できるため、初見でも楽しみやすいという特徴があります。
また、テーマ自体が“食べる”という極めて普遍的な体験であるため、世代・性別を問わず訴求力があります。
「孤独」という言葉にはネガティブな印象が伴いがちですが、本作では“ひとりで食べる=孤独”でありながら、それがあたかも“至福のひととき”であると描かれています。
この点が「明るさ」や「華やかさ」を押し出す多くのドラマとは異なり、“余白を楽しむ”という成熟した時間観を提示しているとも言えます。
両作品から読み解く「ひとり時間」の3つの視点
ここで、以上の分析を踏まえて、現代社会における“ひとり時間”に関して3つの視点から整理してみましょう。
「ソロ活女子」において、主人公が歓送迎会や飲み会を断り、ひとり焼肉へ出かける行為は、「他者との集団参加」という圧力や期待からの解放を象徴しています。
“誰かと行動する”ことが前提だった場面を、“自分ひとりで行く”という逆転の発想にしてしまう。そこに、自立や選択の力が込められています。
「孤独のグルメ」において、主人公がひとりで食べる時間は“誰かとの会話”や“集団の中の自分”ではなく、“現在の自分と食事”と向き合う時間です。
これは哲学的に言えば「存在としての自分」を認識する瞬間であり、社会的役割が一時停止された状態で“自分だけ”になることで感じられる実存的な静けさです。
どちらの作品でも、「ひとりで行ける場所」「ひとりで楽しめる体験」「ひとりで味わう料理」といった“ひとり消費”の文化が提示されています。
現代では、ひとりカラオケ、ひとり旅、ひとり居酒屋など、“ひとり”というキーワードがむしろトレンドになってきています。
「ソロ活女子」はアクティブに“体験”を消費し、「孤独のグルメ」は“食”というもっとも基本的な消費を通じて“ひとり”を肯定しています。
実践的な“ひとり時間”のヒント:ドラマからの学び
ここまで読んだ方に向けて、両作品から「ひとり時間を楽しむためのヒント」を整理します。実生活で“ひとり時間”をより豊かにする参考になると思います。
「ソロ活女子」では、動物園、水族館、遊園地、ラブホテル、気球といった“普通は誰かと行く”場所にひとりで行くことで、自分だけの視点で楽しむという体験が提示されています。
「孤独のグルメ」では、街中の大衆食堂や個人店といった“気軽な店”が多く登場し、“ひとりでも入りやすい店”が身近にあることを示しています。
ヒント:あえて“ひとりでは行きづらい”と思っていた場所を、【ひとりで】訪れてみる。逆に、“ひとり向き”と言われる場所ではなく、少しハードルがある場所に挑むことで、“ひとり時間”が特別なものになります。
どちらのドラマも、ひとりだからこそ“自分のペース”で動けることに価値を見出しています。
例えば「ソロ活女子」では、観たい動物を誰にも気兼ねせずに観賞するシーンがあり、他者のスピードに左右されない自由さを描いています。
ヒント:ひとり時間には“せかされない”“気を使わない”というメリットがあります。スマホを置いて、少しだけ“ゆるめ”の時間を設けるのも良いでしょう。
「ソロ活女子」シリーズが“ソロ活”を毎回変化させているように、ひとり時間も“ただ過ごす”だけではなく、“体験した結果、自分がどう変わったか”を意識することで味わいが深まります。
「孤独のグルメ」も、五郎が食べた後の「満たされた表情」「満腹の言葉」がその回の締めくくりになっています。
ヒント:ひとり時間を終えた後、「どう感じたか」「何が良かったか」「次はどうしたいか」などをメモしたり、写真を撮ったりすると、体験が自分の中で“物語化”します。
作品の良さのひとつは、“ひとりで=特別”ではなく、“ひとりで=当たり前”という空気を作っていることです。
「孤独のグルメ」では、ひとりで店に入ることが既に日常のひとコマです。
ヒント:外食・映画・カフェ等、気になるけど「ひとりでは…」と思っていた体験を、週1回など“ひとりの日”としてルーティン化することで、ひとり時間に慣れていくことができます。
いま改めて「ソロ活」「孤独」について考える
この2作品が示してくれるのは、現代において“ひとりで過ごす”という行為が、もはやマイノリティや逃げではなく、むしろ「主体的で豊かな選択肢のひとつ」であるということです。
「ソロ活女子」は、ひとりで行くことをクリアすべき“挑戦”として描いています。ひとり旅・ひとり焼肉・気球・ラブホテルといった体験を通じて、「ひとりでできること」が増えていく過程が物語になっています。
この視点から言えば、ひとり時間は“自分への挑戦状”と言い換えられます。そして、挑戦を超えた先に、自分らしさの確立・自分の価値観の再確認・自分軸の形成があるのです。
「孤独のグルメ」は、ひとりで食べるという“日常”を丁寧に描いています。そこには驚きも派手さも少ないかもしれませんが、その静かな時間の価値が視聴者に深く響いているのです。
この視点から言えば、ひとり時間は“静かな調律の時間”とも言えます。騒がしい日常から一歩引いて、自分を整える時間。食べるという原初的な営みを通じて、自分と世界との関係を改めて感じる。
この“静のひとり時間”の価値を受け入れられるかどうかが、現代人の豊かさを分けるひとつの指標かもしれません。
あなたの“ひとり時間”の設計図として
「ソロ活女子のススメ」と「孤独のグルメ」という2つのドラマを通じて、ひとり時間の可能性と価値を改めて見直すことができたと思います。
それぞれの視点を整理すると:
- “ソロ活”=挑戦的・体験的・解放的なひとり時間の形
- “孤独”=日常的・内省的・丁寧なひとり時間の形
そして共通して言えるのは、「ひとりでいること=不足」「ひとりでいること=寂しい」ではない、ということです。ひとりで過ごすことは、むしろ「自分のペースで生きる」「自分を再確認する」「自分と世界を静かに味わう」ための時間なのです。
この考え方をもとに、あなた自身の“ひとり時間設計図”を描いてみてはいかがでしょうか。
例えば:
- 週に一回「ひとりランチ・ひとり散歩・ひとり映画」など定期的に“ひとり日”を作る
- “ひとりで行ってみたかった場所”をリストアップし、次の休日にひとつ挑戦する
- “ひとり時間後に感じたこと”を書き留めておく(感想・気づき・次の目標)
こうした仕掛けを通じて、“ひとり”という時間を、ただ“余白”としてではなく、“自分を満たす場”として活用できるようになります。
ドラマを観るだけで終わらせず、そこから“自分のひとり時間”を考え・実践してみる。きっと、5話・10話観た後には、あなた自身の“ソロ活”“ひとりグルメ”が少しずつ変化しているはずです。
あなたの次の“ひとり時間”が、少しだけ特別で、静かに、そして確かに自分を豊かにする時間になりますように。
ぼっち女史戦記 
