非正規介護職の「ボーナス消滅」事件簿 ~手取り20万のリアルと、失われたご褒美を求めて~

ボーナスがない非正規社員女性

消えた「年に2回の魔法」

私、地方在住アラフィフ、訪問介護ヘルパーとして働く非正規社員です。ご利用者様と共に笑い、泣き、走り、持ち上げ、時に腰をトントントンと叩きながら、今日も日本の介護現場を支える一人のおばちゃんです。

そして、私には昨年まで、年に二度だけ訪れる「魔法の時間」がありました。そう、世に言う「ボーナス」です。

もっとも、私の場合は「ボーナス」というキラキラした横文字ではなく、「処遇改善手当」という、いかにもお役所仕事的な名前のついた手当でしたが。それでも、年に二度、普段の手取りでは賄えない「ちょっといい暮らし」の夢を見させてくれる、大切な臨時収入でした。

去年の冬、その「処遇改善手当ボーナス」で私は思い切って、憧れのブランドのキャンプギアを買いました。ソロキャンプでニューギアを使う瞬間、「これで私も、ちょっとは報われたかな」なんて、心の中でガッツポーズをしたのを覚えています。

しかし、今年の春、その魔法はあっけなく解かれてしまいました。政府の新しい方針により、「働く人の月の手取りを増やす」という目的のもと、処遇改善手当は、ボーナスとしてではなく、毎月の時給に上乗せされることになったのです。

結果、どうなったか?

ボーナスのロゴ

1. 「手取り20万」という、絶妙に誇れないライン

この上乗せ措置のおかげで、私の月の手取りは、夢の20万円台に突入しました。正確には、出勤日数の具合にもよりますが、大体20万円前後。

40代、一人暮らし、手取り20万円。

この数字、聞く人によっては「少なすぎ…」「もっと少ない人もいるし」とさまざまな感想を持つかもしれません。でも、この金額は、私の中でなんとも言えない絶妙なラインを彷徨っているのです。

手取り20万」は、褒められるほどリッチではないけれど、泣くほど貧乏でもない、中途半端な自虐ネタにもしにくい、そんなポジションです。

総支給額は、年間で見ればおそらく変わっていない。それは頭では理解しているんです。月3万円ずつ増えるか、半年ごとに18万円まとまって入るか、ただそれだけの違いだと。

でも、気持ちが追いつかない。

だって、ボーナスって、「労働の対価」というより、「ご褒美」だったじゃないですか。

2. 失われた「ボーナス後のハイ」

ボーナスが消滅して、私が最も痛感しているのは、「ボーナス後のハイ」がなくなったことです。

以前は、ボーナスが振り込まれると、私は決まって以下のルーティンをこなしていました。

  1. 午前中:振込を確認。「よっしゃ、増えてる!」とニヤニヤ。ボーナスの使い道を妄想する。
  2. 午後:イオンモールを徘徊する。これだ!と思うものを一つ買う。
  3. 夜:一人、自宅で冷凍食品ではなく、新鮮な魚介を使ったちょっといいお刺身を買い、ノンアルではなく本気のビールをプシュッと開ける。

この一連の行為が、私にとっての精神衛生を保つための儀式であり、また半年頑張るための燃料でした。

しかし、今はどうか。

毎月3万円ずつ上乗せされた手取り20万円は、生活費の引き落としに、まるで砂が水に吸い込まれるように消えていきます。

「今月は手取りが増えたから、ちょっといいものを…」と思っていても、その「ちょっと」は、すぐに「あ、今月はトイレットペーパーのストックがない」「歯医者に行かなきゃ」といった、生きていく上での必要経費に化けてしまうのです。

もはや、ボーナスの時に感じた、あの非日常的な高揚感、あの「よっしゃ、使ってやるぞ!」という祝祭感は、どこにもありません。あるのは、ただ静かに、そして確実に、口座の残高が減っていくという、日常の静かな恐怖だけです。

3. ボーナスがないと、家電は壊れる

「ボーナスがない人、あるある」を一つ挙げるとすれば、それは「ボーナスがない時に限って、高い家電が壊れる」ということです。

ボーナスがあれば、「まあ、エアコンが壊れても、今回のボーナスでどうにかなるか」と、壊れる前から心の余裕が持てます。

しかし、ボーナスが消えた今、私の冷蔵庫が、今にも「ガタガタガタ…」と息絶えそうな音を立てています。

冷蔵庫
  • 「もし壊れたら、冷蔵庫代はどこから出す?」
  • 「20万円の手取りから、毎月コツコツ積み立てる?でも、その積み立てたお金は、体調を崩して休んだ時の穴埋めに消えるのでは?」

不安は連鎖します。

ボーナスは、ただのお金ではありませんでした。それは、「もしも」のための保険金でもあったのです。

ボーナスが消えたことで、私は、自分の体調や、老朽化した家電の寿命に、異様なほど怯えるようになりました。これが、手取りを増やした政策の、思わぬ精神的な副作用です。

4. まとめ:それでも私は介護職

自虐ばかり書いてきましたが、最後に。

総支給額は変わらない。手取りが増えたことで、確かに生活は安定に向かっている。これは事実です。

でも、やっぱり言いたい。

「ボーナスで、まとめてドーン!ともらいたかった!」

月々の安定よりも、年に二度の「祭り」が欲しかったのです。その「祭り」があったからこそ、私たちは、ボーナスを当てにして、普段は買えないものを買い、自分を鼓舞し、また明日からの労働を頑張れたのではないでしょうか。

私と同じように、今年の制度変更でボーナスが消滅したり、元々ボーナスとは無縁だったりする、全国の「ご褒美難民」の皆さま。

  • 化粧品売り場で「今日の自分へのご褒美に…」と、泣く泣くリップ一本だけを買う皆さま。
  • 壊れかけの冷蔵庫の前で、「あと半年、頼むから頑張ってくれ」と話しかけている皆さま。

私たちは、頑張っています。手取り20万円という、絶妙に報われているような、報われていないようなラインで、毎日戦っています。

そして、ボーナスがなくても、私にはこの仕事しかないんです

介護という仕事は、お金だけではやっていけない、心でやる仕事だから。誰かの「ありがとう」や、ご利用者様の笑顔が、私たちの一番のボーナスだから。

…って、最後にカッコつけて締めてみましたけど、やっぱり今、ボーナスが入っていたら、私は速攻で壊れかけの冷蔵庫を買い替え、ついでにちょっといい旅館に一泊して、ビールを飲んでいます。

あぁ、消えたボーナスよ。またいつか、私の通帳に「臨時収入」という名の魔法をかけておくれ。

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