先日、駅を歩いていたときのことです。大きなお土産袋を抱え、友達同士で笑い合いながら歩く高校生たちを見かけました。おそらく修学旅行の帰りだったのでしょう。
無邪気な笑顔や楽しそうな雰囲気を目にして、思わず「青春だなぁ」と心が温かくなりました。
しかし同時に、私自身の「修学旅行の苦い思い出」がよみがえってきました。
今でこそ「おひとり様時間が大好き!」と胸を張って言えますが、子どもの頃はそうではありませんでした。特に修学旅行のような学校行事では、「ひとり=惨め」という価値観に苦しめられたのです。
修学旅行で一番つらかったのは「班決め」や「バスの座席決め」でした。
先生の指示やくじ引きなら気が楽なのですが、「自由に決めていいよ」と言われた瞬間のあの独特な空気…。私はいつも“余り物”になってしまう存在でした。
最終的には担任の先生が「どこか入れてあげて」と声をかけ、渋々受け入れられる。そのときの居心地の悪さといったら、まるで公開処刑のようでした。
特に中学の修学旅行では衝撃的なことがありました。なんと「じゃんけん」で、私を受け入れる班が決められたのです。まるで罰ゲームのような扱いでした。私自身も辛かったですが、同じ班になった子たちが「嫌そうな空気」を出していたのも感じ取り、さらに苦しくなったのを覚えています。
その修学旅行の行き先は東京とディズニーランドでした。
今の私なら「東京ひとり旅なんて最高!」と楽しめるでしょうが、当時はまだ「ぼっち=惨め」という価値観の真っ只中。班で行動する時間も、実際はほとんど私ひとり別行動でした。なにこれ地獄のソロツアー?
東京の街をトボトボ歩く中学生。ディズニーランドでも周りは友達同士で大盛り上がりしているのに、私はひとりアトラクションの列に並ぶ。そんな自分が悲しくて、虚しさでいっぱいでした。
もちろん先生たちのチェックポイントでは班全員が合流しなければならなかったので、その時だけは一緒に行動しましたが、それ以外はほぼ孤独な修学旅行。これが私の“黒歴史”です。
今振り返ると、当時の私は「ひとり=惨め」という固定観念にとらわれすぎていました。
もしあの頃の自分に会えるなら、こう伝えたいです。
「ひとりは恥ずかしいことじゃない。むしろ、自分の楽しみを自由に追求できる時間だよ。」
たとえば東京なら、自分の興味のある場所を巡るプランを立てることもできたし、ディズニーランドなら「ひとりだからこそ効率よく回れるアトラクション」を選ぶこともできたはずです。
写真を撮って「ひとり旅の記録」として残せば、特別な思い出になったに違いありません。
現代は「ソロ活」や「おひとり様文化」が広まり、ひとりで旅やイベントを楽しむ人が増えています。中学生や高校生で修学旅行ぼっちになったとしても、今の時代なら以前より過ごしやすいかもしれません。
それでも当時の私のように「ひとり=かわいそう」と思い込んでしまうと、せっかくの旅行が台無しになってしまいます。そこで、修学旅行でひとりになってしまったときの過ごし方をまとめてみました。
- 事前に“ひとり行動プラン”を立てる
→ 班行動が実質ひとりになる可能性があるなら、自分が興味のある観光スポットをチェックしておく。 - 写真や日記で“自分の旅”を残す
→ SNSにシェアするのも良し。後から見返したとき「自分だけの旅行記」になる。 - 周りを観察して楽しむ
→ 人間ウォッチングも旅の醍醐味。友達同士で騒ぐのとは違う発見がある。 - 自分のペース」で楽しむ
→ 他人に合わせる必要がないのは大きなメリット。疲れたら休憩、気になる場所はじっくり見学できる。
振り返れば、あの修学旅行での孤独体験は私にとって大きな転機でした。
当時は辛く、できれば忘れたい黒歴史。でも今では「ひとりを楽しむ力」を育ててくれた原点だったと思います。
大人になった今では、休日にひとりで出かけるのも大好き。ソロキャンプやひとり旅行にも積極的にチャレンジしたいと思えるようになりました。
あの頃の自分に「大丈夫、将来はひとりでも楽しく過ごせる大人になれるよ」と伝えてあげたいです。
修学旅行は多くの人にとって「友達と一緒に過ごす楽しい時間」ですが、一部の人にとっては「ぼっちを突きつけられる苦い時間」でもあります。
しかし、ぼっちになったからといって修学旅行そのものが失敗するわけではありません。自分なりの楽しみ方を見つければ、それはそれで特別な思い出になります。
「修学旅行でぼっちになった」「孤独で辛かった」――そんな人に伝えたいのは、ひとりは惨めじゃない。自分の楽しみ方を見つける力になるということです。
過去の私のように悩んでいる人に、このメッセージが届けばうれしいです。